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Sep 10 2012

長谷川路可は日本におけるフレスコ、モザイク壁画のパイオニアとして活躍した画家である。フランス留学によりその技法を身につけ、帰国後間もない1928年、現在のカトリック喜多見教会の前身に当たる聖堂に日本初のフレスコ壁画を制作した。以来、路可の制作した壁画・床絵・天井画などの動かせない次の作品が記録に残る。

  • 1928年 - 狛江町の伊東家聖堂(東京、狛江市=後にカトリック喜多見教会旧聖堂となる)。『聖母子像』他(フレスコ・建物解体により一部をカトリック喜多見教会小聖堂に移設、一部ストラッポ保存)
  • 1931年 - 早稲田大学理工学部建築学科の研究室(東京、新宿区)。『アフロディーテ』(フレスコ・建物解体により一部を修復後早稲田大学會津八一記念博物館に移設保存)
  • 1933年 - 徳川義親邸(東京、豊島区)。『狩猟図』、『静物画』(フレスコ・長野県野辺山に移設し、一部ストラッポ保存)
  • 1933年 - 東京府養正館(東京、港区)。『旭日冨嶽圖』(フレスコ・建物解体、ストラッポ保存)
  • 1935年 - 徳川生物研究所(現・徳川黎明会)(東京、豊島区)。『財団法人徳川黎明会天井画』(板絵・現存)
  • 1938年 - 尾張徳川家納骨堂(瀬戸市定光寺)。(フレスコ・現存)
  • 1938年 - 文化服装学院大講堂(東京、渋谷区)。『西洋服装史』(フレスコ・戦災で焼失)
  • 1939年 - 藤山工業図書館(東京、港区)。『啓示と創造』、『科学と芸術』(フレスコ・建物解体により遺失)
  • 1941年 - 日本大学江古田校舎講堂(東京、練馬区)。『題名不詳(天平時代の壁画を題材)』(フレスコ・建物解体により遺失)
  • 1942年 - 所在不明。『星港陥落記念』。(フレスコ・戦災で焼失)
  • 1950年 - 夢想山 本眞寺(藤沢市)。『歩む釈迦像』(水墨板絵・現存)
  • 1951年 - 1954年 日本聖殉教者教会(イタリア、チヴィタヴェッキア)。『日本二十六聖人壁画』他(フレスコ・現存。損傷が心配される)
  • 1955年 - ウルバノ大学(イタリア、ローマ)。『聖ザヴェリオ』(フレスコ・現存)
  • 1958年 - 岩国市庁舎壁画。『繁栄』(モザイク・建物解体により一部を移設保存)
  • 1959年 - 古屋旅館大浴場(熱海市)。『星座の神話』(フレスコ・建物解体により遺失)
  • 1960年 - 武蔵野美術大学3号館(東京、武蔵野市)。『題名不詳(壁画集団F.M.練習用習作)』(フレスコ・現存)
  • 1961年 - 早稲田大学33号館1階エレベータホール床(東京、新宿区)。『杜のモザイク』(モザイク・建物解体により新校舎に移設計画)
  • 1962年 - 船橋ヘルスセンターホテル(船橋市)。『人魚』(フレスコ・建物解体により遺失)、『四季のモザイク』(モザイク・建物解体により遺失)
  • 1963年 - 東松山カントリークラブ(東松山市)。『彩雲』(モザイク・建物解体により遺失)
  • 1963年 - 日生劇場(東京、千代田区)ピロティ床。『大理石モザイク』(モザイク・現存)
  • 1964年 - 国立霞ヶ丘陸上競技場正面玄関床(東京、新宿区)。『悠久(宇宙)』(モザイク・ケーブル増設工事により遺失)
  • 1964年 - 国立霞ヶ丘陸上競技場メインスタンドエレベーター棟(東京、新宿区)。『栄光』『勝利』(モザイク・現存)
  • 1964年 - 大成化学相模原中央研究所(相模原市)。『幽玄』(モザイク・建物解体により遺失)
  • 1964年 - 国際仏教会館(浜松市鴨江寺)。『樹林図』(フレスコ・現存)
  • 1964年 - シャンソンビル(静岡市)。『香の華』(フレスコ・損傷により遺失)
  • 1965年 - 日本二十六聖人記念館(長崎市)。『ザヴィエル像』(フレスコ・現存)
  • 1967年 - 日本二十六聖人記念館(長崎市)。『長崎への道』(フレスコ・現存)

これらは、動かせない、すなわち展覧会などに出品することができない上、作家自身の自由意志で制作できない。建造物の一部であるから、建築主および建築家との連携、信頼関係が必要となる。その点で路可は極めて恵まれていた。

イタリアから帰国する1957年までのこれら動かせない作品を、路可はほとんど独力で制作したようだ。帰国した時、路可は60歳を迎えていた。伝統的な日本画はせいぜい障壁画、屏風絵といったもので、制作時には水平に置いて、座って制作できる。しかし、壁画となると数メートルの櫓を組み、立ったままの制作となり、天井画ともなればさらに無理な姿勢を強いられる。体力的にも独力での制作に限界を感じていたのであろう。帰国当初はブリヂストン美術館に出品したフレスコ画の類のように専らアトリエでの制作であった。1958年、武蔵野美術学校本科芸能デザイン科講師となった路可は、服装史を担当するだけでは厭きたらず、1960年、油絵科などの学生にも呼びかけて「壁画集団F.M.」を結成した。F.M.とはフレスコ、モザイクを意味する。以後の壁画制作のほとんどは「壁画集団F.M.」の学生を指導しながらの共同制作となった。現在、フレスコ、モザイクの分野で活躍する画家の多くがここから育っていった。彼らは春陽会に属する者が多い。これはイタリア時代にヴェネツィアに遊び、旧交を温めた中川一政の口利きがあったと中川自身が記している。

フレスコといい、モザイクといい、千年以上の耐久性を期待して開発された技法である。ところが、上記一覧を見ても、既に遺失してしまった作品が相当数にのぼる。戦災は致し方ないにしても、建物解体によるものがかなり多い。路可がイタリア時代に新技法として学び、日本に伝えた「ストラッポ」というフレスコ画面の剥ぎ取り補修技術によって保管されている作品もあるが、恐らく絹や紙の作品より多くが既に失われてしまった。

3 notes

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