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Oct 21 2014
seiichirou: 株式会社トライテック
『日本アルミット』というハンダ・メーカーがあります。当社でも製品の製造にはアルミット製のハンダKR-19を使用していますが、この会社はもともとアルミニウム用ハンダの開発・製造のために昭和31年に作られた会社で、一時はアルミ用ハンダでは90%のシェアをもっていました。
この会社の看板商品、KR-19というハンダは、通常のハンダと成分が違います。通常のハンダには、作業性を向上させるために松ヤニに少量の塩素が混ぜられています。塩素のおかげで、ハンダ付けのときに溶けたハンダがパターンの上を流れるように広がりやすくなります。しかしこの塩素はハンダ付け後も少し残っていて、時間が経つにつれてハンダ接合部を腐蝕させるため、接触不良になってしまうのです。
KR-19はこの塩素を含んでいません。従って経年劣化も起こりにくくなっています。いまでは国内外の電気・電子機器メーカーや測定器メーカーで使われているのはもちろん、スペース・シャトルに搭載する機器の指定半田にもなっています。
日本アルミットという会社は、もともとは東京・中野の町工場でした。先代の社長と息子の現社長、それに社長の友人達だけで始めた小さな会社です。無塩素ハンダは関東精機という自動車電装部品メーカーの依頼で開発したものですが、開発当初は世界で初めての無塩素ハンダに、まず国内の自動車電装部品メーカーから注文が殺到しました.。日本製自動車が電装部品に故障が少ないのは、KR-19のおかげと言っても過言ではないそうです。
現社長のモットーは『大きいところしか相手にしない』。大きい会社が採用すればその下請けも自動的に採用してくれる、というわけです。KR-19も自動車だけでなく電機メーカーにも使ってもらおうと売り込みに回るのですが、セールスに出かけるのは大企業ばかりでした。大企業では、現場の人は優秀さをわかってくれるのですが、上に話が行くと「そんな零細企業の製品なんか信用できない。やめとけ」といわれてしまい、結局国内の大手メーカーはどこも使ってくれなかったそうです。
そこで社長は日本がダメならとアメリカに渡り、まったくの飛び込みセールスを始めます。しかもやはり大企業ばかりです。ところが手始めに訪ねたヒューズ・エアクラフト社が、あっけないほど簡単に採用してくれました。大企業だろうと町工場だろうと良いものは良い、というのはまさにアメリカ企業です。
続いてヒューレット・パッカード(HP)社を訪ねました。担当者に「ヒューズで採用してもらった」と告げると、彼はその場でヒューズの工場に電話をして具合を聞いたそうです。詳しく性能を訪ねた後、彼は「使ってみるからすぐに送ってくれ」と社長に告げました。このハンダを使わないと後悔することになる、とヒューズの技術者に言われたそうです。驚くべき単刀直入、そしてなんというフランクさでしょうか。その場でライバル会社の見知らぬ技術者に電話をして訊ねてしまうというのも驚きますが、それに正直に答えるほうも立派です。おそらく日本では考えられないことだと思います。
どこの誰だかわからない相手の持ってきたものでも、妙な先入観を持たずに、話を聞いて良いと思えば積極的に試してみる。チャンスは誰にでも平等に与えるという精神が浸透しているということでしょう。またこれがアメリカ企業の強みであり、底力だと思います。
これがきっかけで、KR-19はアメリカの航空、電子産業に次々に採用され、電子産業では上位50社のうち28社がKR-19の採用を決めました。またアメリカへの売り込みの最大の成果はスペースシャトルの電装品機器のハンダ付け用に採用されたということでしょう。
こうなってくると日本の大企業もガラリと態度が変わります。「信用できない零細企業の製品」が、スペースシャトル御用達となったとたん、松下、シャープ、キャノン、カシオなどそうそうたる企業がKR-19を使い始めました。
日本アルミットの本社が東京・代々木にあった頃は、入り口を入ったすぐのところに社長の机があったそうです。そこから中のほうへ部長、課長、係長と机が並んでいて、一番奥の、普通なら社長が座っているあたりにいるのが平社員なんだそうです。
社長曰く、「いちばん上がもっともドアに近いところにいて、お客様のご用をうけたまわる。これこそベンチャー企業のあり方です。お客様の用件を聞いて、誰が対応すればよいか、一番わかるのが社長ですから」

PETAPETA

  (via 46187)

(Source: seiichirou, via peckori)

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日亜化学工業社長の小川英治氏
訴訟騒動の真実を今こそ明らかにする

 これまで誰に何を言われても黙ってきました。日亜化学工業は,ものづくりの会社。クライアントにより良い製品を届けることが仕事であり,それを一途に貫いていくことこそ,当社にとって重要なことだと信じていたからです。

 そのため,中村修二氏とその弁護士の方(訴訟代理人弁護士の升永英俊氏)が,各メディアや本などで一方的に自分たちに都合の良い発言をしても,それに対して会社として何か言い返すというようなことはしませんでした。そうした言い合いなど,ものづくりの会社にとっては何の意味もありません。それより,少しでも良い製品を作ってクライアントにきちんと届けることを貫けば,きっと私たちのことを認めてもらえる。それで十分だと思ってきたのです。

 日亜化学工業は徳島という地方にある企業で,広報体制も整っていませんでしたし,マスコミへの接し方がよく分からなかったということも事実としてありました。

 当社は全くうそなどついていませんから,黙っていても,専門家の方なら真実を分かってもらえると信じていました。裁判官の方なら正しい判決をしてくれると思っていたのです。ところが,意に反して「200億円」という巨額の対価の支払いを東京地裁から命じられて驚きました。

 そこでやっと悟ったのです。黙っていては本当のことは世間には伝わらないということに。そこで,当社のものづくりに対するまじめな姿勢をきっと理解してくれるであろう「日経ものづくり」に対して,まずは話をしようと思ったのです。

アニールが鍵

 まず主張したいのは,青色LEDの開発の経緯です。日亜化学工業では,1989年から青色LEDの開発をスタートさせました。そのとき先行していた,当時名古屋大学教授だった赤崎勇氏などの論文を検証する実験から始めました。サファイアの下地の上にGaN(窒化ガリウム)の良質な単結晶膜を世界で初めて作ったのが赤崎氏。これが高輝度青色LEDを作る際の基本的な結晶膜になるのです。ここに応用化技術を加えて,青色LEDの量産にこぎ着けることが,当社にとっての目標でした。

 つまり当社は,先行する「公知の技術」を学習して,これを基点に開発をスタートさせることにしました。既に存在する技術とはいえ,日亜化学工業にはそのリソースがなかったからです。そこに着手したのが中村氏でした。赤崎氏の成膜の方法は開示されていませんでしたが,結果として中村氏が2年ぐらいで赤崎氏が完成させた結晶膜のレベルに追い付いたのです。

 そのために中村氏が開発したのが,「ツーフローMOCVD(有機金属を使う化学的気相成長法)」を使ったGaNの成膜装置でした。要は,当社の社員だった中村氏が1990年に出願した特許第2628404号(404特許)の装置です。これにより,赤崎氏と同水準のGaNの良質な結晶膜を作製することができました。

 これをもって中村氏は「同装置がなければ(404特許を使わなければ),低コストかつ高輝度な青色LEDが作れない」と主張するのですが,それは大きな間違いです。

 当社から言わせれば,中村氏は実用化に向かう研究のための下地を作っただけ。既に世の中に存在していた,赤崎氏が生み出したものと同じ水準の試料を,違う方法で作ることができただけなのです。

 量産までこぎ着けるには,この試料を基にさまざまな応用技術を投入することが必要でした。中でも,量産化に一番貢献した技術が「アニール」です。アニールとは「焼きなます」という意味で,こうしないと工業的に青色LEDは作れないのです。

 LEDではpn接合の半導体を作るために,n型の半導体(膜)とp型の膜とを組み合わせる必要があります。ところが,GaNはそのままではn型の膜にしかなりません。そのため,p型の膜をどうやって作るかが世界中の研究者の目標になっていました。一般の半導体はMg(マグネシウム)を不純物としてドーピング*2するとp型になります。しかし,GaNはMgをドーピングしてもp型にはならず,絶縁体になってしまいます。Mgに付いている水素がp型になることを妨げるからです。

 それをアニール,つまり600℃前後で加熱するとp型に変わること(アニールp型化現象)を世界で初めて発見しました。この温度で熱すると水素が除去され,Mgの活性を取り除いてp型になるのです。

 これを発見したのは,中村氏ではありません。中村氏とともに働いていた若手の研究員が,幸運にも偶然発見したものでした。この研究員がアニールp型化現象を中村氏に報告しましたが,当初中村氏は「そんなはずがない。間違っているだろう」と否定していたくらいです。

 既に青色LEDや,それを基にした白色LEDの市場には世界でざっと50社が参入していますが,アニールの工程なくして商品化している会社は1社もありません。世の中に全く存在しなかった技術を発明したという意味で,アニールp型化現象の発見の方が,既に存在していた平滑なGaNの膜を得ることよりも重要度や貢献度は高いのです。

「報奨」は11年間で6195万円

 もちろん,アニールだけではありません。ほかにも性能向上のための技術や量産のための技術など,当社が青色LEDや白色LEDを商品化するまでには,大勢の技術者や研究者たちの努力がありました。

 もちろん,中村氏の貢献も認めています。青色LEDを研究テーマに選んだのは彼です。公知の技術とはいえ,当社になかったリソースにもかかわらず,文献の助けや外部の研究者の方などに教えてもらいながら,2年ほどで世界のトップ水準の結晶膜を日亜化学工業にもたらしたわけですから。それで将来の量産化に向かう「たたき台」になったのは事実なのです。

 この貢献に対し,当社は中村氏にボーナスや昇給という形で報いてきたつもりです。1989年から11年間の合計で,同世代の一般社員よりも6195万円ほど上乗せして支給しました。45歳で中村氏が退職する際の給与所得は2000万円弱。決して少ない額ではないと思うのです。中村氏は404特許の発明で得た報奨は,特許出願時と成立時の合計で2万円しかないなどと言っているようですが,そんなことは決してありません。

量産に使えないツーフロー装置

 先ほども言いましたが,ツーフローMOCVD装置はあくまでもサファイアの上にGaNの結晶膜を作るためのものであって,これだけでは青色LEDにはなりません。ほかに必要な技術がたくさんあるにもかかわらず,なぜ中村氏の貢献度(配分率)だけがあれほど高く評価されるのかが理解できません。世間も誤解しているようですが,今回の訴訟は青色LED全体に対する特許訴訟ではなく,その一部であるGaNの結晶膜を作る装置の特許に関する訴訟なのです。にもかかわらず,裁判所が算出した増分利益は,青色LED全体,いや,白色LEDまで含めたものになってしまっています。

 しかも,実はツーフローMOCVD装置は効率が低過ぎて量産には使えませんでした。実験室レベルの装置だったのです。そのため,量産工程では別の方法を使ってきました。さらに言えば,ツーフローMOCVD装置に関する特許は,中村氏が特許申請する前に何件か出ています。GaNを成膜するための特許もあったくらいです。

 中村氏は1994年以降,自分で実験はしていません。周囲の共同研究者の研究成果を筆頭者(ファーストオーサー)として対外的に発表してきました。こうした地方の会社から,日本だけでなく海外の学会でも発表してきたのです。だからみんなから「スーパーマン」のように思われてきました。論文の書き方も学会発表の意味も,当社の社員はよく知らなかったのです。「自分の名前が出ているからいいか」という程度でみんな仕事をしていました。

 ここが一番の問題だったのです。地方の会社で中村氏を自由にさせておいたから。中村氏が筆頭者として発表したあれだけの量の論文は,とても中村氏が自分で行った実験だけでは作成できません。

 その結果,世間が中村氏に注目し始め,いつの間にかみんなが「404特許は青色LEDを生み出すための基本特許であって,それは中村氏が1人で発明した」というふうに思い始めたのです。裁判官の方はきちんと調べてくださると思っていたのですが,やはりこの件は技術的に分かる方に評価していただかないと判断は難しいようです。

開発中止命令など出していない

 確かに,技術者の中にはことさらに自分がやったことを強調する人もいます。しかし中村氏の場合,そういうレベルの話ではありません。本当に不可解なのは,あらぬうそを平気でつくことです。例えば,法廷で彼は「社長から青色LEDの開発中止命令が2度出た」と言っています。

 誰かその証拠を見た人がいるのでしょうか。「開発中止命令のメモが回ってきた」と中村氏は言いますが,それを誰が見たのでしょう。裁判官も弁護士も見ていないのです。それはそうでしょう。誰も開発中止命令など出してはいないのですから。

 事実,試験研究費や設備投資,開発要員の推移を見れば分かります(図)。青色LEDに関する研究を始めた1989年から,試験研究費も設備投資費も開発要員も,毎年のように増やしてきました。現実問題として,これほどの人,モノ,カネを投じておいて,開発中止命令など出せるでしょうか。

 東京地裁で裁判官の方は「貧弱な研究環境で個人的能力と独創的な発想により世界的な発明を成し遂げた希有けうな事例」であると判決時に述べました。しかし,これも納得がいきかねます。1986年に当社は10億円を使って,研究棟を新設しました。床面積1万m2,6階建てです。1989~1993年までにガス系統などを含めて4億円はするMOCVD装置を5台も購入しています。地方の企業でこれだけの研究設備をそろえていたのです。一体,これのどこが「貧弱な研究環境」なのでしょうか。

 「貧弱な研究環境」という表現は,中村氏自身が書いた本や記事,インタビューを受けた雑誌などに見られるものです。要は,自分でそう表現しているだけなのです。

気が付いたら「悪者」に

 当社を訴えたことに関して,中村氏は「日亜化学工業が訴えたから反訴した」と語っていますが,これには「裏」があります。2000年9月22日,日亜化学工業は米Cree社から訴えられました。その4カ月以上前の2000年5月1日,中村氏はCree社と雇用契約を結びました。そして,それとは別に中村氏は日亜化学工業を訴えるという契約をCree社との間で結んでいるのです*3。もちろん,中村氏はCree社からインセンティブ(ストックオプション)を受け取ってのことですが。訴訟費用もすべてCree社が負担するという契約でした。それを知った当社は,2000年12月21日,Cree社を反訴するとともに中村氏を訴えたのです。

 ところがその後,当社とCree社は2002年11月14日に和解しました。それで残ったのが,2001年8月23日に中村氏が訴えた日亜化学工業との間の訴訟だということです。

 もちろん,当社はこうした事実を資料として裁判所に提出しました。裁判所で真実を訴えさえすれば,私たちは公正な裁定がされると思っていたのです。マスコミを通じて広く世間にコメントを発表するといった発想はなく,裁判とはそういうものだと思っていました。

 中村氏は,当社で青色LEDの開発を提案した本人ということから,世間に対して当社の青色LED関連の発表をする窓口を務めていました。加えて,先述のようにファーストオーサーとして論文を発表してきました。学会に訪れた研究者たちは,その内容が実は日亜化学工業の多くの技術者たちが成し遂げたものではなく,中村氏が1人で実現したものだと思ってきたのです。そうした外部への発言が,彼を「スター」に祭り上げ,いつの間にか世の中は,中村氏が発言したことを鵜呑うのみにするようになってしまったのです。

 ものづくりは日々改善が必要で,3日もさぼればすぐに他社に追いつかれ,追い越されてしまいます。だから,中村氏が何を言おうが,相手にせずにものづくりに力を入れる方を当社は選んできました。その結果,世間からは「日亜はなんてひどい会社なんだ」などと思われてしまいました。このままではこれまで青色LEDや白色LEDの開発に尽力してきた当社の多くの技術者や研究者たちが,あまりにもかわいそうです。

 いったん,イメージが付くとそれをぬぐい去るのは大変かもしれません。でも,これからは世間に対して説明し,理解してもらえるように発言していくつもりです。(聞き手=近岡 裕)

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時間銀行

次のような銀行があると、考えてみましょう。その銀行は、 毎朝あなたの口座へ86,400ドルを振り込んでくれます。
同時に、その口座の残高は毎日ゼロになります。つまり、86,400ドルの中で,あなたがその日に使い切らなかった金額はすべて消されてしまいます。あなただったらどうしますか。もちろん、毎日86400ドル全額を引き出しますよね。

僕たちは一人一人が同じような銀行を持っています。

それは時間です。

毎朝、あなたに86,400秒が与えられます。

毎晩、あなたが上手く使い切らなかった時間は消されてしまいます。

それは、翌日に繰り越されません。

それは貸し越しできません。

毎日、あなたの為に新しい口座が開かれます。

そして、毎晩、その日の残りは消されてしまいます。

もし、あなたがその日の預金を全て使い切らなければ、あなたはそれを失ったことになります。

過去にさかのぼることはできません。

あなたは今日与えられた預金のなかから今を生きないといけません。

だから、与えられた時間に最大限の投資をしましょう。

そして、そこから健康、幸せ、成功のために最大の物を引き出しましょう。

時計の針は走り続けてます。今日という日に最大限の物を作り出しましょう。

1年の価値を理解するには、落第した学生に聞いてみるといいでしょう。

1ヶ月の価値を理解するには、未熟児を産んだ母親に聞いてみるといいでしう。

1週間の価値を理解するには、週間新聞の編集者に聞いてみるといいでしょう。

1時間の価値を理解するには、待ち合わせをしている恋人たちに聞いてみるといいでしょう。

1分の価値を理解するには、電車をちょうど乗り過ごした人に聞いてみるといいでしょう。

1 秒の価値を理解するには、たった今、事故を避けることができた人に聞いてみるといいでしょう。

10分の1秒の価値を理解するためには、オリンピックで銀メダルに終わってしまった人に聞いてみるといいでしょう。

だから、あなたの持っている一瞬一瞬を大切にしましょう。

そして、あなたはその時を誰か特別な人と過ごしているのだから、十分に大切にしましょう。

その人は、あなたの時間を使うのに十分ふさわしい人でしょうから。

そして、時は誰も待ってくれないことを覚えましょう。昨日は、もう過ぎ去ってしまいました。

明日は、まだわからないのです。

今日は与えられるものです。

だから、英語では今をプレゼント(=present)と言います。

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中村修二氏の発明「200億円」判決は、美談か? 
        2004/02/01 (日) !!
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   青色発光ダイオード発明の権利をめぐって争われていた裁判で、会社側に200億円の支払いを命じる判決が下ったらしい。今や松井選手なみの国民的スターになったかに見える中村修二と言う人が、その主人公なのだが、朝日新聞を初めとしてマスコミは一斉に判決を歓迎し支持するかのような好意的な記事を発表している。これから日本の会社でも、技術研究に対する評価や扱い方はアメリカ並みになっていかざるをえないだろう、と。

むろん僕もその意見に反対ではない。しかし、何かちょっとちがうんじゃないか、と思ったというのが僕の正直な感想だ。この人は、アメリカの大学に(カリフォルニア大学サンタバーバラ校)転職してから急に態度を硬化させ、日本のマスコミに登場して日本の教育システムを批判したり、古巣の会社に対する裁判を起こしたりし、著書を出したりし始めた。なぜ、四国にいる時に、会社側の不当な扱いをマスコミに公表したり、裁判を起こしたりしなかったのか。

そもそも青色発光ダイオードの研究開発は中村個人の力によるものなのか。共同研究者や会社側の経済的支援はなかったのか。すでに裁判の過程で、この発明の「知的所有権」は会社側にあると認定されている。さて、僕は、中村氏がアメリカの大学への転職を契機に会社を告発する裁判闘争を開始した背景には転職をめぐって中村氏とアメリカの大学や会社との間に裏取引があったと見ている。

結局、中村ナニガシは、アメリカ資本に「魂」を売ったのであって、こんな話は美談でもなんでもありはしない。中村氏の裁判や中村氏の日本のマスコミへの露出が増え始めた頃、中村氏と似たような境遇で研究を続けてきた民間技術者・田中耕一さんのノーベル賞受賞が発表され、すっかり話題を奪われてしまったのだが、その田中氏が会社に「対価」を求めないと発言したことも重なって、逆に中村氏の行動が一部では批判的に語られることが多くなった。

そもそも中村氏がテレビ出演や著書などで語った日本の教育システム批判も、所詮、誰かの受売りばかりで、今更、ここに書き記すのも恥ずかしくなるような、幼稚でステレオタイプなものばかりだった。中村氏の大学時代の恩師が、裁判ばかりしていないで、次の研究に取り組め、と忠告していたが、たぶん無理だろうと僕は思う。科学者も文学者も、やはりカネに目が眩むようになったらオシマイだろう。

次はノーベル賞? もういいよ、この人。(山崎行太郎)

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一方、日本ビクターは「ホンモノの家庭用ビデオとはなにか」という目標設定から、特別開発チームがデータを分析し・ニーズを整理して、「VHS方式の開発マトリックス」を一覧図に仕上げている(注1)。

 図には、「ビデオ固有の条件」(2時間録画、共通性などの項目)、「家庭での条件」(価格、操作性、維持経済性)、「メーカーでの条件」(生産性、サービス性など)、「社会性」(情報文化など)の4条件で、「家庭での使われ方」を基準にしたプロダクト・プランニングを行っている。緻密な分析とデータの洗い出しで、詰め将棋のようにいかに次々と王手をかけるか。「ミスターVHS」と呼ばれることになる高野鎮男(ビデオ事業部長)の指揮で、逐一練り上げ、実践していったのだ。

 そのマトリックス図の中央には、「ドラム径62ミリ」という文字が大きく書かれている。これまでも述べてきたように、ベータのドラム径は「75ミリ」であり、しかもVHSはカセットサイズを、ベータより一回り以上大きくすることで、長時間化と生産効率を簡易に実現した。いわば、ここが王手に至るキーポイントだった。アップルのiPodが、ソニーのウォークマンを攻略する時にも、iTunesをキーにチェックメイトをかけたように。

 視野が狭まったとき、感度が鈍くなったとき、本当の敵が死角から現れる。だから、自家中毒が怖いのだ。

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