News.Azwad.Com - toshi's tumblr

Follow @toshi0104
Aug 29 2014
+
+
48: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2014/08/27(水) 00:23:53.89 ID:e7s5ZPVQ0.net
まあ安打乞食だしな
ヤンキースから解雇は決定事項だけど

53: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2014/08/27(水) 00:28:57.72 ID:/43vpj6O0.net
»48
ただねえ、3000本安打ってやっぱ名誉なんだよ、所属するチームにとっても。
ヤンキースにとってもチーム所属時で3000本打った打者なんてジーターしかいないから
3000本のために飼い殺す可能性も捨てきれないんだよな。いい客寄せになるから
んで、打ったあとはれて解雇よ
まあ、年月かかりそうだからその可能性も低そうだけれどな

58: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2014/08/27(水) 00:32:15.64 ID:wPOjZoIT0.net
»53
そう考えると、マリナーズが買い戻す可能性大だな。
MLB通算記録はすべてマリナーズで達成したことになるし、
永久欠番にしやすくなるね。

61: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2014/08/27(水) 00:36:14.64 ID:/43vpj6O0.net
»58
その可能性はあるね。マリナーズで3000本安打打った選手いないから尚更

26 notes

+

さゆ、さゆみ、さゆみん 2

「さゆ」という略称は小さくてかわいいし、何より呼びやすくて萌え萌えです。それは「口に入りやすい」大きさの呼び名だと言えます。実際私たちヲタはさゆの映像や書き物、あるいは声に触れたとき、何かにつれ思いを込めて「さゆ」と口ずさんでしまいます。「さゆ」という名前は小さくて、舌の上で弄びやすく、フェティシズムを誘う呼び名なのです。ヲタが口のなかで「さゆ」を転がしているうちに「しゃゆ」「ちゃゆ」といったヴァリアントが生まれたのも当然の成り行きと言えるでしょう。

さゆが、ファンやさんまや山ちゃんに対して自分を「さゆみん」と呼ぶよう要請するとき、さゆは自分をアイドルとして、あるいはお人形のようなひとつのキャラクターとして扱うよう、求めているようにも思えます。だから親しくそう呼んでほしいと言いながら、どこか距離を置いて接してほしいと求められているように思え、私などは寂しく感じてしまうのです。「さゆみん」というのは、さゆが空想するおとぎの主人公というか、さゆが夢見る架空のキャラクターの名称のように思えてなりません。私が「さゆみん」という呼び名に今一馴染めないのはたぶんそのせいです。

さゆが自分を「さゆみん」と呼んでいる数少ない重要な例として、あれはフレッツ動画だったでしょうか、だいぶ前の話になりますが、「さゆみんとさゆりん」の場面が思い出されます。さゆが自分でビデオカメラを回しながら鏡に頬を寄せ、自分の姿と鏡像を同時にひとつの画面に捉えて「さゆみんとさゆりん」と言う場面です。ここでさゆは自分を指差し、客体化したまさにその瞬間にそれを「さゆみん」と呼んでいます。そして「さゆみん」は、すぐに鏡像である「さゆりん」に分裂・分身し、複写されるのです。

モーニング娘。道重さゆみ(六期メンバー)の世界【ニコ動より】

おそらくさゆの考える「さゆみん」とは分裂・分身・複写可能な存在です。「さゆみん」はそう呼ぶファンのなかにイメージとして複写され愛されるべき存在であり、さゆ本人が認知したアイドル道重さゆみのブランドだと言ってもいいかもしれません。複写・複製された「さゆみん」は、そして「さゆみん」という名前は、人々の間に広く流通してしかるべきだとさゆは考えているようにも思えます。少なくとも、「さゆりん」ような分身を生み出すことができるのはあくまで「さゆみん」であり、「さゆ」や「さゆみ」ではないのです。

また、ここに来てさゆの一人称の問題が、分身・複写の問題と交差してしまうことには非常に興味深いものがあります。なぜなら、私たちヲタから見ても、さゆはそもそも分裂・複製可能な存在として登場したからです。さゆはある意味非=娘。的な、類型的な美少女として、私たちの前に登場しました。さゆがかつてU-15アイドル的風土に最も近いところにいた娘。であることは間違いありません。だから私たち(この場合“私たち”というのは正確に私と検校氏のことですが)は街のなかに時折さゆに似た美少女を発見することになったのです。こうした体験は娘。を愛する者にとっては必ずしも普通のことではありません。なぜなら娘。がどこにもでもいる女の子たちの集団だなどとというのは、2001年以来まったくの虚構に過ぎないからです。たとえば辻ちゃんや加護ちゃんに似た女の子に街で出会うなどということは、今も昔もあり得るはずがありません。むしろさゆが例外中の例外だったのです。
こうした事態と「さゆみん」の問題とはどこか深いところでつながっているのかもしれない、あるいはつながっていないのかもしれないのですが、いずれにしろ1ファンに過ぎない自分が限られた情報を元に、これ以上踏み入って考えることは困難であるように思えます。

さゆは、小春がきらりを演じるように「さゆみん」を演じようとしているわけではありません。ただ自分を「さゆみん」と呼んでほしいと言っているだけです。つまり「さゆみん」とはほとんどさゆその人であり、せいぜいさゆに夢想されている存在に過ぎないように思えます。その「さゆみん」の実体の無さ、にもかかわらず「さゆみん」と呼んで欲しいとアピールする、そこにさゆのいじらしさがあります。
さゆが自分を「さゆみ」と呼ぶとき、リアリズムが浮上します。「さゆみ」は即物的です。「さゆみ」とさゆが繰り返すとき、「さゆ」や「さゆみん」が引きずっているフェティシズムやイメージは振り払われています。自分を「さゆみ」と呼ぶとき、さゆは一人のリアルな女の子として自分を指し示めしているように思えるのです。「さゆみ」という名前は「さゆ」や「さゆみん」に似ているし、「さゆ」や「さゆみん」同様にかわいいので気づきにくいのですが、たしかにそう思えるのです。

6 notes

+
 さらに最後の3つ目は、「売名行為のススメ」。今回のアイスバケツでも、もっとも集中しているのは「売名行為だ」という批判だが、これも大野氏は肯定する。
「ボランティアというと、つきものなのが「偽善者」という一言。「良い子ぶって、自分が目立ちたいだけじゃないの?」などと、足を引っ張る人が本当にたくさんいます。でも、そんな言葉には負けないでほしい。なぜなら、いいことは伝えないと、広がらないからです」
 アイスバケツが広がりを見せたのは、先に挙げたゲーム性とともに、多くのセレブが関わってきたからだ。そして彼らの参加がなければ、これだけ多くの人がALSについて、たとえ名前だけでも知ることはなかった。海外のセレブだけでなく日本の有名人が関わり始めたことで、身近に感じた人も少なくないはずだ。
 ビートたけしが「ボランティアっていうのは人知れずやるもの」と、アイスバケツを批判したことが顕著であるように、とかく日本では、ボランティアやチャリティを“名前を明かさず”行うことが美談として語られがちだ。だが、仮に「売名行為」だったとしても、活動の意志や目的が力をもっていれば、そんな「私欲」は飲み込まれて消えてしまい、結局は活動の精神だけが残る、と大野氏は語る。売名行為でもいい、“自分を使って”伝えている、と考えればいいというのだ。

3 notes

Page 1 of 9559